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    Source: Flickr / effd
    • 8 years ago
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“ Rainy day ~ By Masashi Wakui
”

    plasmatics-life:

    Rainy day ~ By Masashi Wakui

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    Source: plasmatics-life
    • 8 years ago
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  • “90: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/07(木) 22:12:23
    »86
    そういうタイプは結構多い
    うちの嫁は音大出てピアノ教師やってるんだが簡単に結婚式のピアノ演奏なんかを依頼してくるやつが多い
    普段からピアノに触れている嫁でも、頼まれた曲は最低でも半年~5ヶ月前から準備
    その期間中に数千~下手すりゃ何万回と練習するのに、そういう時間を考慮せず
    「どうせ一曲ひくだけだし~」と三千円くらい包んで渡してくる馬鹿がな”
    — はなろぐ : プロ野球もバスケットもボクシングもマラソンも数時間しか仕事してない (via plasticdreams)

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    • 8 years ago
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  • “「京都弁にするとどんな文章も皮肉に聞こえる」
    「マジかよ。例えば?」
    「よろしゅおすな、よろしゅおすなぁ、人間てえらいよろしゅおすねやねぇ。美味しいご飯にぽかぽかお風呂、ぬくといお布団で眠らはりますねやろ? うちも帰りたなってきましたわぁ」
    「ほんとだ、完全に馬鹿にされてる……」”
    — Twitter / m_soba (via the-pica-has-lots-of-dreams)

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    • 8 years ago
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  • pedalfar:
“三ヶ月ごとに近所に研ぎ師の人がやってくる。道ばたに自転車を停めて「包丁研ぎます」という小さな看板を置いて、その横でひたすら包丁を研いでいる。お得意さんがすでに沢山いるようで、ウチも前回来たときに初めて頼んでみたのだけど、これがもう超絶の切れ味。なまくら包丁が別の刃物に生まれ変わったかのよう。4、5種類の砥石を使い分けて研ぐのだけど、素人(=私)が簡易な研ぎ器で研ぐのとは次元が違う切れ味になりました。
”

    pedalfar:

    三ヶ月ごとに近所に研ぎ師の人がやってくる。道ばたに自転車を停めて「包丁研ぎます」という小さな看板を置いて、その横でひたすら包丁を研いでいる。お得意さんがすでに沢山いるようで、ウチも前回来たときに初めて頼んでみたのだけど、これがもう超絶の切れ味。なまくら包丁が別の刃物に生まれ変わったかのよう。4、5種類の砥石を使い分けて研ぐのだけど、素人(=私)が簡易な研ぎ器で研ぐのとは次元が違う切れ味になりました。

    (via pepineco)

    • 8 years ago
    • 105 notes
  • “限界とか負けってのとは少しちがって、でも似てることもある。おれが聞いた市井のひとの話。
    戦前、ひとりの若い小学校教師がいて、教えた子供たちの中に、ひとりだけ恐ろしく頭の良い男の子がいて。なかでも算数に長けていて、若い教師が教科書にも載ってないような応用問題を熱心につくり与えると、嬉しそうに解いていたと。
    やがて卒業が近づき、上の学校に進んではどうかと尋ねると、生徒は目を輝かせたあとで塞ぎ込み、「そのような金がありません」と答えた。
    なるほど。学資の捻出が難しいのかと、今で言えば奨学生のような手筈を整え、その子の家に行くと、両親が落涙とともに「ありがたいことですが、そうではなく、この子には丁稚に出て貰わないと私どもの生活が立ち行かないのです。学校に上がると、この子は稼げません」と頭を下げるばかり。当時ありふれた境遇だったので、では残念ですが、と進学を断念。やがて戦争があり、戦後の復興、騒乱を経て、日本が落ち着いてきた頃。それまでにも「あの子はどうしているだろう」と折に触れては思い出していた教え子が、風呂敷包みを片手にひょっこり訪ねて来た。
    すっかり頭髪も薄くなり、油に汚れた作業着の男は生活に疲れているようすだったけれど、あの利発な面影は目に宿っていた。「先生。お久しぶりです」
    もう初老も過ぎ、老人になった、かつての若教師は喜んだ。元気でいたのだ。
    むかし利発だった少年が、おもむろに風呂敷包みを広げると、何冊ものノートがあり、「じつは先生。私、どうも変な事を考えてしまって。他に相談する人もいなくて困っていたけれど、もしかして先生ならわかってくださるかも、と思いまして」
    そう言って見せてくれたノートの数々は、仕事を終えて毎日ひとりアパートで少しずつ書き溜めたもので、数字に混ざって「甲」「乙」といった記号があり、それは今でいう「X」「Y」などの代数記号のようで、詳しく聞くと、それは二次関数の考察で、解の公式と同じ考えの数式を最後に説明してくれた。「そうですか。やっぱり先生だ。わかってくれた」
    人類が何代もかけて編み出した解の公式に、彼はひとりで辿り着いていた。天才だったのだ。しかし、その公式は今ではどこの中学校でも教えているものだ。
    「ありがとうございました」
    教え子が帰った後、老教師は、たまらず号泣したという。”
    — 孤茶と訪問する戦後昭和史2(孤茶篇) | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日 (via ginzuna)

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    Source: gamayauber1001.wordpress.com
    • 8 years ago
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  • hisafoto:
“an alley
”

    hisafoto:

    an alley

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    • 8 years ago
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  • “通常の授業で、こどもたちは、
    「みんなおんなじ」ような絵を描いていた。
    ひらべったい構図、
    お人形のような人物たち、
    空は青、唇は赤、ひまわりは黄色、
    といった「お約束」の色づかい。

    横尾忠則は、
    事前にこどもたちに連絡して、
    「自分の好きな絵」を1枚もってこさせていた。

    こどもたちは、もっと「漫画」とか、
    「キャラクターもの」とか持ってくるかと思ったら、
    意外にも、「絵画」っぽいものを持ってきていた。
    ピカソを持ってきた小学生もいた。

    横尾は、こどもたちに、
    まず、持ってきた絵を忠実にうつさせた。

    つまり「模写」をさせた。

    そのあと、こんどは、何も見ないで、
    「記憶」で、同じ絵を描かせた。

    記憶力が良いこどもたちは、
    もとの絵を見なくても、
    すいすいと再現するかとおもいきや、

    もとの絵を、あえて改変して描きたい、
    という子が、つぎつぎあらわれた。

    もとの絵では、2匹だった動物を
    3匹に増やしたいとか、
    もとの絵とはちがった色で塗りたいとか、
    こどもたちは次々主張し、
    そのたびに、横尾はそれを快く許可し、
    奨励していった。

    結果、記憶ちがいではなく、
    こどもたちが、記憶していた原典に
    意図して改変を加えた絵が
    つぎつぎと描きあがった。

    クラス全員の絵をならべてみる。

    以前の画一的な絵がならんでいたのとは
    まったく違う風景がそこにあった。

    クラス全員が、ひとりひとり、
    まったく違う、オリジナリティあふれる絵を描いていた。

    模写だけをクラス全員ならべたものより、
    「記憶」で描かれた絵たちは、
    もっともっと個性が炸裂していた。

    授業がすんだとき、
    こどもたちは、絵を描くことも、
    横尾忠則も、大好きになっていた。”
    — ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。 (via tiga)

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    • 8 years ago
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    • 8 years ago
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    • 8 years ago
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